和太鼓プロ奏者になるには?中学生から研修生になるまでのリアルな道のり
「和太鼓 プロになりたい」「和太鼓 プロ なるには」と検索している方へ。
私は現在、和太鼓演奏を職業としていますが、ここに至るまでには多くの困難と挑戦がありました。
今回の記事では、私自身がどのようにしてプロの世界へと足を踏み入れたのか、「和太鼓プロ集団の研修生になるまでのリアルな道のり」をお話しします。
これからプロを目指すあなたに、少しでも参考になるよう、私の実体験を赤裸々に綴ります。
和太鼓との出会い:すべては小学校のクラブ活動から始まった
私が和太鼓に初めて出会ったのは、小学生時代のクラブ活動でした。打楽器の響きに心が震えたあの瞬間が、今に繋がる第一歩でした。
その後、地元のアマチュア和太鼓チームに参加。休日は練習に明け暮れ、地域のお祭りやイベントにも出演しました。
しかし、中学生になると部活動との両立が難しくなり、次第に和太鼓から離れてしまいました。情熱はまだ心の奥に燻っていたものの、その時はまだ「プロ」なんて考えてもいませんでした。
中学2年生の進路相談で訪れた、人生の分岐点
進路を考える時期になっても、やりたいことが見つからず悩み続ける日々。
学力に見合った高校に進むべきか?部活動が強い学校を選ぶべきか?
そんな中、偶然目にしたのが和太鼓プロ集団「松村組」のコンサートでした。
プロによる圧倒的な演奏。音の迫力だけではなく、表情や立ち振る舞い、その空気に心を奪われ、「自分もこうなりたい」と思った瞬間でした。

運命の出会いと、地元の強豪校「日本福祉大学附属高等学校」へ進学
プロを目指すと決意した後、地元・知多半島には日本でも屈指の和太鼓部を持つ高校があると知りました。それが「日本福祉大学附属高等学校」。
私立高校でしたが、両親にも理解を得て進学を決意。3年間、和太鼓漬けの日々。
全国大会や郷土芸能大会への出場も経験し、実力を磨き続けました。
この高校での経験が、後のプロ人生の大きな土台となったことは間違いありません。

高校3年、夢を口にする孤独。
進路が決まり始めた高校3年生の秋、私は「プロの和太鼓奏者になりたい」と周囲に打ち明けました。
しかし、その反応は厳しいものでした。
「現実を見ろ」「そんなので食っていけるわけがない」
先生も友達も、誰もが私の夢に否定的で、応援してくれる人はほとんどいませんでした。
「普通に就職するか、大学に行った方がいい」とアドバイスされる中、それでも私は夢を捨てられなかったのです。
奇跡の繋がり:松村組との接点が生まれる
プロになりたい——ならば、松村組に入りたい。そう思っても、当時は公式な研修生募集もなく、連絡先すら不明。
何度も悩み、あきらめかけていたある日、顧問の先生が突然「話がある」と呼び出してくれました。
なんと、裏で松村組のメンバーと繋がりを作ってくださっていたのです。
そして、ついに話を聞いてもらえるチャンスを得たのですが…現実は甘くありませんでした。
研修生になれるはずがなかった:断られ続けた日々
松村組は「高卒の子を受け入れることは基本的にない」と断られました。
門前払い。それが現実。
でも私はあきらめませんでした。何度も神戸に足を運び、何度も電話をかけ、強い想いを伝え続けました。
そしてついに、「そこまで言うなら」と受け入れてもらえることに。
募集もしていなかった中で、まさに“強行突破”で道を切り開いた瞬間でした。
神戸での生活と、はじまりの苦悩
18歳、地元を離れ、神戸市へ。家賃2万5000円のアパートで、一人暮らしが始まりました。
初めての土地、初めての生活。何もかもがうまくいかず、夢のスタートは試練の連続でした。
「理想と現実のギャップ」に悩み、夜にひとり涙を流す日もありました。
それでも、あの時の情熱を信じて、毎日和太鼓と向き合い続けたのです。
まとめ
ここまで、和太鼓プロを目指す私が、どのようにして研修生というスタート地点に立ったのかをご紹介しました。
夢は口にするだけでは叶いません。言葉にして、行動して、何度も拒まれて、それでも諦めなかったからこそ、今の私があります。
そして、ここからが本当のスタートです。
夢に見たプロの世界。しかしそこには、想像を遥かに超える厳しさと、理想とのギャップが待ち受けていました。
その続きは、こちらの記事でご紹介しています。

