根性入れてやらんかい
夢を見た
約16年前、自分が中学2年生の頃に僕は夢を見ました。
『いつかこんなふうになりたい』
その頃、自分が何をしたいのかがわからなかった。
たまたま部活でやっていた水泳の盛んな高校へ行くのか。自分の学歴に合った高校へ進学するのか。
いや、違う。自分の進みたい道はそんなありきたりな道じゃない。でも何をしたら良いかわからない。
そんな時に僕は夢を見た。
『和太鼓松村組』というプロの和太鼓集団の演奏を見て、全身に雷が落ちたような衝撃を受けたことは今でも覚えている。
武豊町のゆめたろうぷらざというホールで、客席から見た光景が忘れられず、
『和太鼓松村組のメンバーになりたい』と。
それから
高校を卒業後、12年前にはじめて松村先生と会った日のことを思い出す。
12年前の5月、単身で神戸に行き、新天地を目の当たりにし、『やるしかない』と。
沢山の課題はあったものの、1年後にメンバーとして認めてもらえた。
夢が叶った瞬間だった。
毎年2000人規模のホール公演や、テレビでしかみたことがないような人との共演。他にも沢山、普通の人生では決して経験できないようなことを学ばせていただいた。

10年の時が過ぎて
18歳に入団後、28歳になった時、松村組を独立しました。
メンバーになってからの約10年は、この記事では書ききれないほど、沢山の思い出があります。話が逸れまくってしまうので、また機会があれば載せたいと思います。
そんなこんなで、ワタクシ、人付き合いがあまり得意な方ではなく…
独立してからは、どのように師匠と接していいのか分からず、なんとなく気まずい雰囲気を感じていたのが正直なところです。
ただ、3月に実施したTAIKOFESやソロコンサートなど、一旦ご報告も兼ねて、緊張で心臓が張り裂けそうな状態でご自宅に伺ったのがつい先日の出来事です。
師匠のご自宅に行き、乾杯のビールの後「飲め」と出してくれたのは、自分が好きだと言ってた日本酒だった。独立して数年、一切の連絡をしていなかった自分にとっては、言葉にはできない暖かさと、器のデカさを感じた。
自分の人生をかけて、こんな人になりたい!と、そんな風に思わせてもらえるような人と出会えたことは本当に運が良かったし、恵まれていたんだと今になって思います。

話が尽きることもなく、懐かし思い出話や、これからのこと、今だからこそできる話も沢山ありました。あっという間に6時間も滞在してしまい、終わりかけの記憶はきつい芋ロックの味だけです。
松村組時代学んだことを、今生かしきれているのか?そう問われると全然できていないのが正直なところです。
しかし、どんな時でもできるかな…と悩んでいると
根性入れてやらんかい!とよく言われたのも懐かしい。
独立して早2年。まだまだ乗り越えるべき壁は沢山ありますが、根性入れて乗り越えていきたいと思います。
最後になりましたが、私の不器用さをみかねて、このような場を作ってくださった、「太鼓屋六右衛門」には心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

